サッチャー首相の教育改革

鉄の女サッチャー首相が行なった教育改革に関する記述のまとめサイトです。

サッチャー首相の功罪 教育改革と新自由主義 2013/04/20 01:25

教育改革では教育法を改正し(1988)、国定カリキュラムを策定します。日本でいえば、学習指導要領のようなものです。イギリスの通史をしっかり教え、植民地支配についてはプラスの側面も教えるよう指導しました。キリスト教教育も復活しました。

教育水準局が各学校の授業内容を監督し、全国共通学力試験の結果を公開して、目標に達しなかった学校は教師を入れ替え、廃校にもできるようにしました。保護者も公立学校を選択できるようにし、学校間に競争原理を取り入れました。

教師は自分のクビがかかってきますので、イデオロギー教育をやっている場合ではなくなり、基礎学力の向上を目指すようになりました。

サッチャー首相の教育改革は、イギリスの教育を荒廃させたとして非常に批判的に論じられているのを見かけましたが、以下の資料を読むと、今の日本で行なわれてきたこととほとんど同じで驚きました。イギリスの教育政策の失敗を日本がなぞっているだけのように見えます。

サッチャリズム教育政策とその背景 ― 政治経済的条件からの概観的考察 ― 山口 裕貴

公共支出削減を推し進めるサッチャー政権は、経済政策の攻撃の的として教育分野を選んだ19。教育分野は、国家予算に占める割合が大きなものの一つであったがゆえに、サッチャリズムによって教育支出は大幅に削減された。具体的には、大学補助金および地方交付金の削減、学校給食生徒徴収金額の地方自由化などが挙げられる 20。これでは教育サービスの向上はおろか、現状の維持すらままならないという声が方々から聞こえ、サッチャー率いる保守党の議員の間にも、「政府は一つの世代の教育をめちゃめちゃにしてしまっている」21 という意見が出されるまでになった。サッチャリズムの特質からいえば、公費削減のためには、本来公的な形で行われるべき事業の大部分を民間に委託し、その活力を利用するという名目で当該事業を公費部門から外すということになる。そして、その外された部門が、私的企業の活動の自由によって保障されることになる。教育という事業が、私的企業の営利活動の対象として見据えられるのである。このような構想が、サッチャリズム教育政策にみる、財界主導的ともいうべき基本姿勢の一つとなっている22。つまり、経済界のイニシアティブのもとに公教育部門を解体し、私的活動の目標としてみようとする点こそが、自由化理論のもっとも基本的なねらいであることをここで再認識しておきたい。

上に転載した部分は、財政面での政策ですが、「大学補助金および地方交付金の削減」など、日本の科学研究をボロボロにしてしまった政策そのもので、なぜ過去に前例がある愚策を日本が後から追いかけたのだろうと不思議に思います。また、公教育を私企業の金儲けの場所にしてしまっているのも、大学入試で英語の民間試験導入を強行しようとしている今の日本を見ているようです。

イギリス教育改革の変遷 ナショナルカリキュラムを中心に 吉 田 多美子 レファレンス 平成17年11月号

1987年6月の総選挙で圧倒的勝利を収めたサッチャーは、 第3次政権 (1987年-1990年) でベーカー教育担当大臣のもと、 1988年教育改革法を成立させた。 同法は全体で238条の条文からなり、 1944年教育法以来の大規模かつ急進的で、イギリスの教育制度を抜本的に改革する画期的な法律であった(22)。 中でも、 中央政府が統制してこなかった義務教育段階の公立学校のカリキュラムについて、 初めて共通の履修すべき教科と教育内容をナショナルカリキュラムとして定めたうえ、 その実施評価としてナショナルテストを行うことが規定された点は注目すべきである。 (p102)

特に子ども達の道徳心の低下問題は、 複雑な社会的背景 (犯罪の増加(39)、 性的虐待、 貧困、 社会不安など) が絡んでいるうえ、 ナショナルカリキュラム導入以降、 教師の関心がもっぱら成績を上げることになり学力競争が激化したため、 教師に切り捨てられた問題児が現れ、 不登校となる 「怠学」問題が生じた、 とする説もある(40)。イギリス社会全体でも 「市場における自由な競争に基づくいかなる結果をも正当化される」とする新自由主義の政策は、 貧富の格差を拡大(41) し、 個人レベルの貧困化はますます進行した。 この結果、 低収入の家庭はある特定の地域へと集中し、 その結果公立の学校教育に格差が出るようになった、 といわれている(42)。 (p105)

下のブログでも指摘されていますが、なぜ失敗しているイギリスの教育改革を日本が見習おうとしているのかが、よくわかりません。そもそもサッチャーの教育改革は、当時の日本を参考にしていたんですね。そのいきさつに関しては、上記の資料でも紹介されていました。

■これがサッチャーの教育改革の効果だ 2006-10-25 今日行く審議会@はてな

これを単にイギリスの教育改革の失敗と捉えることはできない。なぜならば、サッチャーの教育改革は日本の教育をモデルとしていた。そして、日本は今そのイギリスの教育改革をモデルとして改革を行おうとしている。つまり、この記事のイギリスの現状は、将来の日本の姿かもしれない。そう考えることもできるからだ。

サッチャー政権による教育改革で教育に市場原理をもちこんだ結果、成績不良者が切り捨てられた結果、社会が荒廃したとうのが一つの見方のようです。

学校荒廃の原因は統一テスト?それとも教員組合の争い?

退学処分になる学生も急増し、92年には、退学処分の生徒は約2,000名だったが、96年には、退学処分者は1万3,000人まで増えた。いじめ問題で学校を訴える親も増え、学校側に慰謝料支払い命令が下ったケースも出た。学校が荒廃した原因には、教育への市場原理導入で、低学力生徒が放置され、躾がなされなかったせいだと非難された。サッチャー政権の教育改革では、全国統一カリキュラムが作成され、全国統一学力テスト(GCSE試験)の合格率によって、学校番付が作成され毎年発表されたのだが、このせいで成績不良の生徒に対する教育が行き届かなかったというのだ。学校番付では、生徒の学力をどれだけ上げたかではなく、中三卒業時における到達度テストの合格率や、大学進学希望者が受けるAランクテストの成績で評価された。だから学校では成績優秀者や、合格ボーダーライン前後の生徒が優遇され、テストに到底合格できそうもない生徒は放ったらかしにされた。さらに良い成績が取れそうもない生徒には、試験を受けさせないような小細工をする学校も現れ始め、教員達に疎外され、相手にしてもらえなかった子供達が、非行に走ったのだという指摘がなされた。

イギリスのナショナルテストの実施のいきさつやその弊害、廃止に至る過程は、以下の論説に詳述されています。

全国学力テストはなぜ実施されたのか 浦岸英雄 園田学園女子大学論文集 第 44 号(2010. 1)

イギリスの教育改革は、サッチャー首相による「教育改革法」(1988 年)がすべてのはじまりといわれている。1997 年に発足した労働党のブレア政権でも骨格はすべてそのまま引き継がれたのである。それは大きくいって次の四本柱からなりたっていた。一つは、ナショナル・カリキュラムの導入である。欧米諸国では、日本の「学習指導要領」のようなものは存在せず、基本的に国がカリキュラムに直接関与しないのが普通一般的である。この基本を破棄しナショナル・カリキュラムを導入したのである。カリキュラムの教科は、中核 3教科(Core Subjects)として英語・算数・理科の 3 科目、基礎科目(Foundation Subjects)として歴史・地理・音楽・美術・技術・体育・外国語の 7 科目であった。二つめは、ナショナル・テストの導入である。イギリスの 93% の子どもたちが通う公立学校制度は次のようになっている。5 歳から義務教育が始まり、それが 16 歳(小学校 6 年・中等学校 5 年)までつづく。高校(シックスフォーム)は 2 年間、大学は 3 年間、大学院は 2 年以上となっている。この 5 歳から 16 歳までの義務教育期間に 7 歳と 11 歳 14 歳そして 16 歳の段階に 4回の学力テストを行うというものであった(16 歳のテストは従前から義務教育卒業テストとして行われていた)。テストを 10 科目で行う政府方針に学校が強く反対し、テストボイコット運動が全国的に展開された結果、テスト科目は英語・数学・理科の三科目になり、7 歳のテストは英語と数学になったのである。そして三つめは学校選択制の導入である。ナショナル・テストの結果は政府より公開され、マスコミ各社は競ってその報道を繰り広げた。たとえば、各学校の成績は、サッカーの試合結果報道のようにリーグテーブルと言われ、上位(ベスト)20 校ランキングや下位(ワースト)20 校ランキング、そして「全国自治体成績ランキング(トップから最下位まで)など興味本位の報道が繰り返されたのである。国民はこのランキングを参考に学校選択を行うというものであった。更に四つめは、1992 年に導入された教育水準局の査察制度である。これは、学校の教育内容を第三機関が査察する仕組みである。この制度では、成績が非常に悪かった学校を「失敗校」と認定し、教育技能相が 2 年以内に成績の向上が見られない失敗校には閉鎖を命じることができるなど、学校の自治を大幅に与えるとしながら、カリキュラムもテストも、そして「失敗校」という烙印もすべて国とその機関で決定されるようになっているのである。サッチャー教育改革の狙いは「学力向上」だといわれてきた。それは、「競争すれば質向上」という新自由主義の上に成り立っていたのはいうまでもない。しかし、イギリス政府は学力が向上したとたびたび発表していたのだが、学力の向上どころか、最近は反対に下がっていると指摘されている。

大阪市の市長も学力テストの不振をうけて、競争原理(成績に応じた報酬)を導入すると発表しましたが、サッチャー首相が行なった教育改革の結果をなぞりそうな予感がします。上記資料には、ナショナルテストでの高得点をほしがる教師らがいかにして不正行為に走ったか、その事例が具体的に紹介されていました

 

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